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手記・荒井 美奈子(患者本人)
<プロフィール>
年齢:53歳
職業:自営会社の会計事務
ご家族:夫と義母
癌腫と経過:
乳がんで手術を行うも、肝臓と肺に転移。ホルモン療法と免疫療法(免疫細胞療法)を併用しながら、通常の生活を送る。
<目次>
告知から標準治療を受けるまで。
免疫細胞治療を受けて
他の患者さんへ伝えたいこと
告知から標準治療を受けるまで。
がん患者になる前は、主婦業のかたわら自営業の会社の会計事務をつとめ、定期的にスポーツなどもやっていました。そんなある日、人間ドックにかかった時、グレー判定が出ました。しかし当時、まだ乳がんが今のように情報がなく気にしていませんでした。思い返せば、乳房から血の混じったような汁が出ていたし、しこりのようなものもあったのですが・・・
その後、きちんと検査をうけて、最初に乳がんの診断を受けたのは2002年12月でした。幸いにも、乳房を温存する形での手術が適用になるということでした。
当の本人の感想としては、当時はあまりピンと来ず、「取ってしまえば大丈夫」くらいに思っていましたが、一緒に病院に付き添ってくれた夫と母のことを考えると、今後のことを考えて少し不安になることはありました。
主治医から提示された治療方針は、以下のようなものでした。
まず、乳がん腫瘍を小さくするために抗がん剤タキソール90mgを12週行う。その後、乳房温存手術とリンパ節郭清を行い、術後 放射線治療(毎日25グレイを25日間)とホルモン治療(リュープリン注射を2年間、ノルバデックスは5年間毎日服用)をする…というものでした。
そして、実際の治療が始まりました。
まず、術前の抗がん剤治療が始まりました。
副作用については、抗がん剤で吐き気や食欲不振はなく、体調の大きな変化は有りませんでしたが、脱毛がとても辛かったです。結局、抗がん剤で腫瘍は小さくなりませんでした。
その後手術を行い、病変部分とリンパ節の切除を行いました。脇の下のリンパ節を郭清(切除)したため、術後は右腕が中々上がりませんでした。リンパ浮腫も怖いので、荷物も片手でしか持てず不自由でした。そんな生活を続けていましたが、術後一年近くなってから、気持ちが落ち込むようになりました。治療が落ち着いた頃になって、やっと自分の置かれた状況が把握できたのかも知れません。
その後、当初の治療方針どおり治療を続けていたところ、ホルモン治療5年を終えた後で、2008年には肝臓に腫瘍が見つかりました。当初、血管腫(血管にできる腫物、悪性腫瘍ではない)と診断されたのですが、その後も成長していき、肝臓がんの疑いが生じ、消化器外科に移ることになりました。最終的には、その塊は8㎝にもなっていました。
手術で肝臓を64%摘出し、病変部分を取り除きました。術後の細胞診の結果、乳がんからの転移がんであったことがわかりました。術後、乳腺外科で以前と同じホルモン治療を行いましたが、結局、翌年2012年12月に肺への多発転移が見つかりました。
こうなると、ホルモン治療だけを続けていくことが不安になってきました。
そんな時、夫が提案してくれた治療が、免疫療法(免疫細胞療法)でした。